先生〜高校数学編〜

好きだった先生2人目、いよいよ高校の数学の先生

高校1年生の頃、学校のクラスがすごくいいクラスで、めちゃくちゃたのしくて6年間学校通った中で唯一たのしく学校に行けていた時期だった。

今にして思うとすっごく恋らしい恋をしていたなあ、という感じなんだけど当時の私はこれまたその気持ちを恋愛感情だとうすうす気付きつつも認めずにいた。まあでも周りにはもろバレでけっこうからかわれていた。。

男性にバレンタインにお菓子をあげたのも先生が初めてだったし、けっこう、本格的に好きっぽい感じで、そこそこ楽しんでいたんだな、、

先生は背が高くて、スタイルが良くて、顔が小さくて、首が長くて、アンニュイな雰囲気をまとった人だった。一昔前の俳優っていう感じ。頭のいい国立大学卒業の高学歴高身長だった。

目とまゆげが近くて、黒目がどこまでも真っ黒くろなところなんかがものすごく魅力的だった。ケイトウィンスレットの目とそっくり。

もうとにかくかっこよかったし、ぐっときた。いつも水色の白衣を見ていて、チョークのついた手で腰に手を当てるので腰のあたりがものすごく汚れていた。終業式の日だけはスーツのジャケットを着ていて、それが最高だった。だから終業式とか始業式とかになると講堂の壇上の先生を絶対に見てたし、廊下とかでも先生を探していた。

先生はちょっと気持ち悪めの喋り方で、でも、やっぱり頭が良いから、テンポ良く歯切れ良く、解説していった。大学の数学につながるようなことも時々教えてくれたりして、数学が好きっていう感じがして、半分自分の世界にいながら、でもわかりやすく、おもしろく授業をしてくれた。板書もものすごく完成されていて、とにかく、本当に綺麗な授業だった。ちなみに先生には自分で作った教科書があって、ノートではなくそこに書き込んでいく形式だった。母親に捨てろ捨てろと言われているが、今でも読み返すと数学たのしかったなあとなるのでなんとなく捨てずに取ってある。塾講師をやっている時は先生の板書を丸パクリしていた。

高校1年生の9月、ベースボールベアーの(WHAT IS THE)LOVE & POP?というアルバムがリリースされて、そればっかり聞いていた。その中に海になりたいpart.2という曲があって、それが当時ものすごく好きだったんだけど、その時数学の範囲は微分だったのを覚えている。私は関数の範囲がものすごく好きで、微分はその中でも特に好きだった。

数ⅡBの微分は増減表を書いて、3次関数のグラフを描いて問題を解くのがメインの範囲なんだけれど、先生がすらっとした全身をつかって流れるようにグラフを描いている様とか、後ろ姿のスーツのズボンに浮き上がったふくらはぎとかが、本当に綺麗で、海になりたいpart.2の壮大なアウトロがいつも頭に流れてきたことをすごくよく覚えている。

とにかくそんな感じで高校1年生の頃の私は先生を常に目で追っていた。

部活で借りた望遠レンズを使って盗撮もしたし、部活動の権限を使って写真を撮ったりもしていた。夏休み、部活で学校に来ると私服でバイクに乗ってきていた先生にばったり会って、写真を撮らせてもらったこともあった。白シャツにGパンにバイクとか尾崎豊かよ、、、くっ、、、、ってなってときめいた。笑える。

という、端から見ると気持ち悪がられるであろう思い出で溢れている。

そんなことばかりしていた高校1年生の私には放課後に数学の質問をしに行くのが精一杯だった。

数学の難しい問題を解いては、質問をしに行っていた。もう、完璧に先生と話したかっただけである。でも、毎日行くのはなんだかなとか思って、適当に期間をあけて問題をためてから行ったりしていた。質問をしに行くことで、合法的に先生と二人で話す時間が取ったのである。そんなこんなで、職員会議で先生がいない日とか、数学科の会議の日とか把握していたくらいである。

先生は、中2、3の担任の英語の先生とおなじく、アウトローな教材室組であった。ちなみに、その英語の先生とは同じアウトロー組であることもあってめちゃくちゃ意気投合して、すごく仲良しだった。高1が終わる頃にはいつも一緒にいるほどの仲良しになっていた。腐女子歓喜である。

教材室の窓をのぞいて、先生がいるかどうか確認するのはいつもドキドキだった。いても他の生徒の対応をしていることも多々あった。

そう、先生はめっちゃモテていた。

まったく琴線にふれない層もいたけれど、けっこう大勢の女子高生にモテていた。

中学生の頃に見かけた先生はたしかに、いつも教材室の外で高校生に呼び出されていた。おもしろかったし、元々バレー部だったとかで運動神経もよかったし、ちょっと根暗だけどけっこう男っぽいはっきりした部分もあって、芯の強さもあって、っていう感じで私みたいな根暗だけじゃなくて、ギャルとか、クラスで目立つタイプの子とかにも好かれていた。特に担任の先生としては、分け隔てなくいろんなタイプの子に目を配っていたようなので自分のクラスの生徒にはめちゃくちゃ好かれていたみたいだった。

しかも自分がモテてることをけっこう自覚してて、まんざらでもない感じだった。特にそういうギャル系は先生と親しくなるのが得意だったし、先生もけっこうそういう子が得意だった。そういう子ときゃっきゃ恋バナをして盛り上がってることとかもあった。先生は一歩ひきつつも楽しそうだった。

一方私はというと、先生にタメ口をきく度胸もなく、うまい話題も見出す自信もなく、ただひたすら真面目に、真面目に質問をしにいっていた。先生もたぶん私のことを真面目で静かで聞き分けのいい子だと思っていたと思う。

先生が私にしてくれた話といえば、

自分が他の数学科の教員を敵に回して今のカリキュラムを作った話とか、教科書を変えた話とか、そういう、男の仕事道みたいな話だった。

それを私は「わーすごい」とか「そうですよねえ、大変ですよね」とか言いながら一生懸命聞いていた

とってもおもしろかったし、本日は貴重なお話をありがとうございましたって感じだった、けど、けど、違うんだよ、、もっと先生の個人のこと知りたいんだよな、、ともやもやした。けれど、聞く勇気なんてなかった。

し、何より、わたしはそれでけっこう満足していた。今日は雑談してくれたなあ、というだけでものすごく嬉しかった。帰り道、ちょっとそわそわして、友達に先生がこんなこと言ってたとかメールをしたりしていた。

何より、時々勇気を出して先生に雑談をふろうとすると、だいたい案外あっさり話が終わってしまったりして、恥ずかしいやら悲しいやらで、床をのたうちまわりたくなる結末になることばかりだった。

わたしはそんなことがあると、もうこの世の終わりかというくらいはずかしかったし、ひたすら好きなバンドのPVやライブDVDをいつもより真面目に見て現実逃避するほかなかった。

はあ、この人たちを好きになるのは一方通行でなんて楽なんだろう、現実の人間は私のアクションに対するリアクションが返ってくるのがこわいなあ

だから、一生好きなバンドマンを追いかけてれば傷ついたり、こういう風にはずかしい思いをしたりせずに済むんだから、こっちのほうがよっぽどいいな…

と思っていた。まあ今でも対人関係で何かあるとこんなことを考えてしまうけれど。

でも私はだんだん、先生の前で素のまま振る舞えないことが苦しくなっていった。もっと、ざっくばらんに話せるのに、今まで真面目にやってきすぎて、たかだか数学の授業だけ担当の先生相手に今までのイメージを崩すなんてどうやればいいかわからなかった。先生が担任だったらよかったのにな、とか思ったこともあった。(まあ、担任だったらもっと大変なことになってたと思うけど、、)

段々、悶々とすることが増えてきた。なんだか真面目で雑談とかしないタイプだよねって、誤解されているけど、もうどうしたらいいかわからない、もっと普通の話せればいいのにな、とぐるぐる悩み、だから余計、私は先生のこと別に好きじゃないと思おうとした。

それに、先生は私なんかに本当に何の印象も持ってないだろうな、と思った。つらいけど、絶対そうだったと思う。

とはいえ2連続でいい数学の先生に出会い、私はもうすっかり理系科目が大好きになっていた。あと何より、文系科目と違って音楽聴きながら勉強できるところとかも大好きだった。

高1の進路選択では親にめちゃくちゃ反対されたけど、理系を選択した。本当に理系の勉強が好きでまだやっていたいと思ったのが大きな理由だけど、正直、ほんのちょっと、まだ先生に習いたいなあとか、思っていたことを今なら認められる、すまん、お父さんお母さん。

しかしこれまた突然、非情な現実が突きつけられた。先生は、校長先生とバトったとかなんとかで私たちの学年から外れることになったのだ。

つまり、理系を選択したところでもう先生の授業は受けられなくなってしまったのだ。

先生の授業大好きだったのに、楽しみだったのに、また楽しみがなくなってしまった…と絶望した。これからも先生にならえると思っていたのに。

そこから私の学校生活はお先真っ暗だった。高校2年生になってクラスも変わってしまって自己顕示欲が強くて頭が固くて頑固で自己中なリケジョに囲まれたし、あんなに楽しみだった先生の授業もなくなって、学校は何も楽しくなかった。

それでも私は時々先生に質問しにいったりしていた。

でもなんかその度に、うまく接することのできない自分、当たり前だけど自分をわかってくれない先生にもやもやしたし、もう担当じゃないし、私何やってるんだろう、、先生も、なんで俺のところに来るんだろうって思ってるかな。。。って思い始めて悲しい気分になった。

少しずつ、先生のところへ行きづらくなっていった。けど、一目会いたくて、よく、教材室の前をうろついたりしていた。けど、先生と話すと落ち込むようになってしまった。

そのあと私は学校にはほとんど何も期待せず、塾中心の生活を送るようになって、塾に楽しみを見出すようになったことも手伝って、先生のところへ行かなくなった。

 

高3の卒業間際、進路を伝えに言ったのが先生と話した最後だった。

お世話になったから、といって先生と話したいだけだったんだけど、久しぶりに会うと先生は

「ひさしぶりだよね、本当にひさしぶり!学校来てた??ひさしぶりだね!」って何回も言ってた。

そして、また、真面目に受験でどこを受けたとか、大学はここにしたとか、そんな話をして、特に盛り上がりもせず、しめやかに先生との会話が終わった。

そのあともやっぱりなんとなく落ち込んだ。

わたしも先生の恋バナとか聞きたかっただけなのになあ、最後までわかってもらえなかったな、もっと仲良くなって話がしたかったな

でももうこのままお別れなんだな、仕方ないけど

そんな気持ちでいっぱいになった。卒業ってせつない。

 

どんなに追いかけても自分のことをわかってくれない、違う星の下に生まれている人を好きになるのはけっこうつらいな、と思う。

この反動かわからないけど、このあと好きになった先生は、ものすごく話しやすくて、なんていうか、雰囲気が合うから私のことわかってくれていそうな人で、そっちの方がよっぽど苦しくなかった。

卒業してから実は2回ほど母校に行っていて、その度、会いたいような、会いたくないような気持ちを抱えながら先生を探すけど、2回とも会えなかった。

もうこのままでいい気がする。

今度、友達が一緒に母校に行こうって言ってきたけれど、

その時先生に会えたとして私のこともう忘れてたら、ていうか多分忘れられてるから、そしたらそれこそ、私の先生に関する記憶が全部救われなさすぎるし、何よりショックすぎて立ち直れなくなりそうで、確かめるのがこわい。

でも、もし先生とたのしく話せたら、とも少し期待してしまう。

よくうろついていた教材室の前はプリント類の紙の匂いと、印刷のインクの匂いの匂いがしていたので

未だにその匂いを嗅ぐと、はずかしいような気持ちになって胸がぎゅーってなる。