先生〜中学校の先生編〜

中学時代の学校の先生のはなし

中学受験に失敗し、第一志望とは正反対の校風の厳しい女子校に入学。入学式から突然、「ごきげんよう」とか言わされ、綺麗なお辞儀の仕方を練習させられ、本当にやめたいと思った。今となってはお辞儀が綺麗ねなんて言ってもらえるので重宝しているけれど、当時の絶望はハンパじゃなかった。親曰く、「後ろから見ててあんたが不機嫌なのが分かった」というくらい。

中1のときの担任は、国語担当のM字ハゲでアゴのしゃくれたボンボン上がりのじーさんだった。こいつがまた私と馬が合わなかった。理不尽で、ボンボンっぽさが滲み出てたし、けっこういやみったらしい先生だった。国語に関してはひとつの解釈しか受け入れないみたいな人で、しかもその割にさすがに的外れじゃない?みたいな解釈があって、アンポンタンだなとおもってそんなイライラする授業を受けてるうちに国語が嫌いになった。

このハゲは、どうやら入れ歯らしく、しゃべる度に入れ歯と上あごの間につばが入ってペチャペチャ音がするやつだった。最初は原理がわからず「待て、こいつの口の中何が起こってるんだ…?」と不思議に思っていたが、まあ、今にして思えばたぶんこういうことなのだろう。。まあそんなところも嫌いだった、聞いているのが苦痛。

私は目立たなかったし、いじめをしたり、問題行動をしたりとかはしなかったけど、とにかく生意気な正論振りかざしマンだった。まあ、理論さえ通ってればそっちの方が正しいみたいな感じに思ってたんですね〜〜。。

今でもその節はあるけどもっとひどかったですね…

先生に怒られる時、たぶん標的されやすい子って言うのが多分いると思うんだけど、そんなのばっかりで、いつも同じ目立つ子ばかりを怒っていた。模試の答案の書き方が悪かったとかそんな話でみんなの前でその子の答案をチラチラ出しながら、さらし者にしていた。まあ、お調子者っぽい明るい子ではあったけど、流石に嫌がっていて、ちょうどその子が隣の席だったので、小さい声で、「これみんなの前で言う必要なくね?」とバカにした感じで話しかけた、つもりだった。が、偶然クラスが静まり返り、私の声だけがクラス中に響き、空気がちょっと凍ったこともあった。。

たぶん先生からめっちゃ嫌われてたことだろう。でも、問題行動をしているわけでもないのでめっちゃ扱いづらいガキだったと思う。国語の毎月提出の読書感想文を一度も出さず、出してない人は先生に呼び出されてたけど、私だけ何故かスルーされていた。なんでだったんだろう。でも書かなくてよくて楽だった。

2年生の時、担任ではなくなっていたがハゲは依然として国語の担当だった。一番前の席で隣の子と揃って寝ていた時、私の机だけを蹴り、隣の子はスルーされてた。あ、マジで嫌われてるんだなって思った。ハゲの逆襲。

でもハゲは突然カマキリのモノマネをしたり、「僕はね、黒板に円を書くのが得意なんですよ」とかいっていきなり腕を全力でぐりんと回して黒板に円を書き始めたり、「芭蕉って忍者だったらしいですよ」っていう話を突然してきたり、「僕は退職したらバイオリン作りをしたいですね」とかせいじくんみたいなことを言い始めたり、

古典のテスト直前の授業で範囲が終わっていないにも関わらず、鵺の鳴き声を私たちに聞かせようとするもCDの再生機器の操作方法が分からないまま50分間無駄にして、まさかの試験範囲が終わらなかったりとかあって、ちょっと面白かった。鵺ってどんな声なのか未だに気になる。から、調べてみようと思う。

中2の時の担任は、男の英語の先生だった。最初、茶髪でパーマだった。2年間おなじ先生だったので途中で黒髪になったりしたけどだいたい前髪が長かった。鼻がものすごく綺麗で、歴史の教科書に出てくるイエスキリストの絵に似ていた。

衝撃の登場シーンであった。突然教室に入ってきて、「そして」と言った。こちとら初対面である。こっちは0なのに彼は2の段階にいたみたいな、正直笑った。

字がものすごく汚くてやる気のない感じの先生だった。英語の発音はめちゃくちゃうまかった、高学歴だったのでバカにされたら嫌だなあとおもって英語を頑張った。

ものすごく理詰めな先生だった。最初のHRでひとりではごはんを食べられない女の人たちに多いランチメイト症候群について語り始めた。だから君らも机を前に向けたままごはんを食べろ、とのことだった。誰とごはんを食べる、誰とつくえをくっつける、そんなことをしてあぶれる人だっているし、まずめんどくさいじゃないか、と。

私は感銘を受けた。この学校にもそんなことを言う先生がいるのか、と思いながら聞いてた。ただ、字が汚すぎて、ランチメイトが完璧にうンチメイトに見えたので笑いをこらえるのに必死。なんだかニヤニヤした。こんなこと言っていいのか、こんなこと言う人がいるのか、と思って胸が高まった。

ちなみに私はこの案には大賛成だった。が、ほとんどの生徒は猛反対、何でウチのクラスだけ、とか言ってた。現に他のクラスがウチのクラスの全員前を向いて食べる異様なお弁当の風景を見に来たりしていた。結局、保護者からクレームがきたようで廃案になった。結局、世の中そういうもんだなっていう感じだった。

そして何より、学校が嫌いだった。しばらくすると、学校の批判を始めた。

私も学校が大嫌いだったので先生の言葉 にうんうんと頷き、なんだか救われたような気分になった。そんな先生だったので、職員室に居場所などなく、いつも教材室という部屋にこもっていて、その部屋にはアウトローな先生が集まっていた。

先生との出会いで、組織全体が嫌いだとしても、その中の個人がその組織と同じ思考をもっているとは限らない、その中にもいい人はいるんだ、という考えを持つようになり、より、組織とか集団よりもその中の個人を重視するようになった。

しかし、一切笑わず、常に理路整然としていて、冷ややかで何を考えているのかわからず、こわい先生だった。

学級会とかで誰も発言しないと、「誰かがここで口火をきるという役割をするべきなんですよ?」みたいなことを言ってきて、なんだか私はそれから口火を切るみたいな役割を担うようになったように思う。その先生のおかげ(?)である。

それだけ静かで、笑わない先生だと、謎が謎を呼び、変な噂が絶えない先生だった。昔生徒の前で常にギャグを言うほど陽気だったが、ギャグがすべりたおして笑わなくなったとかそんなのもあった。そんな話が尽きず、それはそれですごく楽しかったから、話の種としては重要な先生だった。

とにかく、変な人であったことは違いないけれど、私は中3で入院したりして、普段全然話さないのに、学校に戻った初日、顔を見せに行くと「退屈しちゃったでしょ〜」なんて声をかけてくれたりして、

びっくりして金田一ばっかり読んでたんで夜けっこうこわかったですあはは、なんてよくわからないことを言ったり、でも、ずるいもので普段話さない人だとこれだけ話してくれるだけでなんだかうれしくて、いい人だなあなんて思っていた。

私はけっこうこの先生が好きだった。多くを語らないキャラが功を奏したのだろう、来世、男に生まれて女子校の先生になることになったら是非実行したい。

高校の美術の授業で許可もなく、この先生についての漫画を描き、それが学校内で配られる美術科の先生のつくる冊子に掲載されたりした。

卒業間際に進学先を伝えに行くついでにそのことを謝りに行った

先生は「へー!そう、そしたら、兄妹そろってセントポーーーール!!!!だね、あと、漫画についてだけど、おいしかったからいいですよ」と言った

私は困惑しながら「はは、それ、新歓で使えますかね」と答えたのを覚えている。きっとこの人のギャグは万人受けするものじゃなかったんだろうな、と確信した。

時折、シュールなことを言って教室が?でいっぱいになっていたことがあった、そんなところがけっこうツボで好きだった。

それが先生と話した最後だった。先生は、もう私の母校にはいないらしい。