先生〜小学校の塾〜

小学校の塾のはなし
年の割に斜に構えた小学生だったとは思うが、この頃は恋愛感情とかはまったくなかった。ただ、塾の先生は好きだった。
中学受験のための塾の先生たちは本当にみんな面白い人ばかりだった。
まあ、嫌いな先生もいたけどね。カンニングしてないのに容疑をふっかけてきて、何年先生やってると思ってんだとかドヤ顔してたじーさんは小学生ながらに、恥ずかしいなあと思って心の中でクソほどバカにしてた。笑
 
夏期講習なんかだと普段の担当とは違う先生が来た。
チャイムが鳴ってから先生が顔を出すまで、みんなドキドキだった。
おもしろい先生が顔を出すと、みんな、よっしゃー!!!とか言って盛り上がってた(それ以外はみんな特にリアクションなし)
 
覚えてる先生全員列挙したいけどそういうわけにもいかないのでかいつまんでいく
はらせんという国語の先生はめっちゃ人気だった、とにかく面白い、話がうまかった、今聞いたらどう思うかはわからんけど笑
今にして思うと割といい声だったと思う、青ひげで、生徒を下の名前で呼ぶ先生だった。
北海道生まれの先生で、注意されてもリフトでバウンドし続けたのちリフトから落っこちた話とか、
風邪をひいた友人のために金持ちの家の池の鯉を釣って食わせた話とか、
まあ今思うと小学生が好きそうな話ですね、そんないつまでも悪ガキみたいな話を面白おかしくしてくれる先生だった
でも今思い出してもなんだか楽しい気分になる。
めちゃくちゃ声のでかい先生で、声をからしてしまって
「ヤク注入するわ…(プシュ)あ〜〜いいね〜〜!!!」とかやってたことがあったのが印象的、たぶんいい人だったと思う
 
もうひとり国語の先生、私が頭のいいクラスに上がって(ちょっとしたらさがったけど)担当になったFやま先生はすごくお上品でなまった口調ですごいアダルトなことを言う先生だった。
この人も髭が濃かった、お上品な口調、濃い顔故にちょっとゲイっぽかった。メガネだった。
授業で江國香織の文章が出てきて、「先生は江國香織の本とか結構読むんですけどね、君らにはちょっと早いかな〜〜男の人と女の人がチュッチュしてるやつだからね〜〜」とか言ってきたり、
本人曰く奥さんが外国人らしく、文化が合わなくて大変だけどおもしろいみたいな話とかをしてきた。なんとも言えない、大人の諦め、そして子供をバカにする感じが感じ取れて好きだった。
あとは授業の中で扱った文章について記述問題を作って、提出させて、
添削をしたのち、いい文章は次の授業でどこがどうよかったかクラスメイトに印刷して配ってくれる先生だった。
私は当時めちゃくちゃ国語が得意だった上に、文章がうまかったのでだいたい選ばれていた、素直にうれしかった。
まあ、選ばれなかった子とか国語が嫌いな子にとっては嫌な時間だったと思うとなんとも言えないけど、自分のいいところを評価してもらえるという機会は人生でもなかなかないと思うので、こういう機会を作ってくれるのはいいことだと思う。
ちょっとアダルトな雰囲気漂ってたし、大人の世界って感じで、ちょっと他の先生と違った、怒るとけっこうこわかったけど。
ちなみに国語は中1の担任のことが嫌いになるまで、ずっと好きだった。そこからは一転して嫌いになった。好きな教科はやはり先生運だとおもう。
 
また国語の先生、O笠原先生というマツコデラックスとまではいかないけど、あんな雰囲気で太っている女性の先生。デブだけど色白でふわふわしてそうなかわい気のあるデブだった気がする。でも強烈な印象だった。
突然、授業中にでかくて高い声で歌を歌い始めたりする。
この先生の今でも忘れられない切り返しがある。
ものすごいデブで口も悪くて声もでかい(清潔感のある色白の可愛いデブだったけどね)先生が突然、彼氏がいるみたいな話をしてきて
生徒がすかさず、ええー!!!彼氏いんの?!!!ってびっくりした時
おめーらデブが結婚してるっていうと妙に納得するくせに彼氏っていうとなんでびっくりすんだよ!!!フツーは結婚する前に付き合うんだよ!!!!」って言ってたことが未だに思い出される。
なんだか、そりゃそうだなって納得した。小学生相手にそんなことを熱弁する先生、好きだった。でも歌声でかすぎて隣の部屋から怒られたりもしてたな。愉快な先生だった。
 
あとは理科のともくんと呼ばれていた先生。めちゃくちゃ色白でガリガリ、馬面出っ歯のメガネで背が高くて猫背の先生だった。スーツがいつもチョークで汚れてた。
バカみたいに字がデカくて、バカみたいに声もでかくて、
一文字書き始めるだけで「字、でか!!!」ってなって笑いがとれる先生だった。
理科は得意じゃなかったけどこの先生は好きだったし、なんかちょっと仲良かった。笑
ともくん、なんか好きだった、よく覚えているのは
「先生はどうして塾の理科の先生になったの?」って聞いたら
「うーん、本当は小学校の先生になりたかったんだけどね」って言われて
「へー、先生おもしろいし頭もいいんだからなれるよ!!!」とかいって、
ともくんがははは…とか笑ったみたいな会話。
教職の単位とか仕組みについてなんにも知らなかったので、単純に小学校の先生よりおもしろくて、難しい問題の解けるともくんが何故学校の先生にならなかったのか不思議でならなかった。
そして、この時私はたぶん初めて、なりたいと思っていたもの以外で妥協した人がいることを認識した
 
こんな感じのユニークな先生が他にももっとたくさんいた。
学校の先生はどの人もみんないい人には違いないけど、超真面目でつまらなかった。まあ、あんだけたくさんの子供束ねるんだから仕方ない。
でも塾の先生は、生活態度とかくだらないこと(当時から思ってた)で怒らないし、
学校の先生よりも、先生という役に染まり切っていない。ちょっと大人の事情的なものが垣間見えるのが面白かったし、なんか好きだった。
この感じはこの後も持ち続けることとなる、
先生でありながら、先生という役に染まり切っていないやるせない先生が好きだった。
 
塾講師というものの現実を知った今、まず、彼らの雇用形態なんかが気になる。大人になるって嫌だね。
授業だけする先生はプロ講師と呼ばれている。
聞こえはいいし、人気さえあれば十分に食べていけるが、実際のところ世間的な定義ではフリーターなんだよなあ
あの人たち、フリーターだったのか、と思うと変な感じ。
まあ、私の通ってた塾の講師の雇用形態はわからないけど、今はどうしてるんだろうなあ。みんなまだ塾の先生やってるのかな。
 
小学生がお受験のために勉強を続けるのはなかなか大変だと思う。
それを楽しくやらせようと工夫してくれてたであろう先生たち、今思い出してもおもしろい。
ブラックな大人が多かったのが最高だった。