先生〜中学校の塾の先生編〜

最初に述べた通り、今までたぶん3人の先生が恋愛的な意味で好きだった。

その中の一人が中学校の頃の塾の数学の先生だった。

数学が苦手で、赤点を取ったりしていたのを見かねた母親が「せめて平均はとれるようにしなさい」と塾にいれたのが初めだったと思う。中高一貫で普通の中学校とは進具合が違ったので、必然的に個別授業を受けることになった。

最初の担当の先生は、まあまあ、なんというかフツーの先生で特につまらなくもたのしくもないといった感じだった。その先生も今にして思うと大学生だったのだろう、中2の終わりにやめていって変わったのが、先生だった。

ISO先生は、猿みたいな顔で背が小さくて、おしゃれ感のないメガネの人だった。けど目がいつもびっくりしてる感じがかわいかった。

まあでも彼に関しては外見的には今にして思うとなんで好きだったのかよくわからない、けど、もんんのすごくいい人だった。(と思う)

中3はもう学校行きたくないなあっていう感じの時期で、地元の友達と遊ぶ以外に楽しみはほとんどなかった。そんな生活の中でISO先生の数学の授業はいつも楽しかった。

とてもわかりやすかったし、すべり芸タイプの力技でよく笑わせようとしてくれた。とにかく、と、に、か、く、恐れずに笑わせようとしてきた。し、私はそれで必ず笑っていた。私は笑わせようとしてくれるいい人が好きで、なんかわかんないけど、たとえつまらなくても、けっこう笑ってしまう。結論としては、気を使ってるのかもしれないけど、全然嫌な気はしない。

けっこう忘れてしまっているところはたくさんあるけど、先生が担当になってから授業が毎週の楽しみになって、数学が好きになった。毎週の楽しみをつくってくれる先生に私は感謝をしていて、だから、テストでいい点数を取ろうとしてたくさん勉強した。みたいないい流れが生まれていた。超ピュアだった当時の私は、感謝をしすぎて、それを通り越して先生のことが好きだったんじゃないかと思う。

そんな感じで私の数学の成績はめきめきと伸びていった。とにかく数学の勉強が楽しくて仕方がなかった。これだから先生を好きになるといいことしかない。

中3当時、飼っていた犬が少しずつ病気で弱り始めていて、ものすごい悲しい気分で塾に行ったことがあった。その時、先生がなんか元気ないじゃん、どうしたの?って聞いてくれたので、うちの犬が…という話をすると、自分にもそういう経験があると教えてくれたあとで、

犬は頭がいいから、そんなに悲しい顔してると不安がるんだぜ?だからつらいけど、犬の前では最後まで明るく振舞わなきゃ!

と言ってくれたことを今でもよく覚えている。中学生に向けてすごくいい回答だったのかなと思う。今、その時の先生の言い草をそのまま思い出したけど、〜だぜ?とか言っても許される感じの、いいやつそうな声の人だったな。

入院することになった時もものすごく心配してくれて、退院した後、塾から電話くれたりもして、もうなんかすごくうれしかった。今思うと、まあフツーそうするやろ、、みたいな感じなんだけれど、その時は本当にうれしかった。

とにかくちょろいのでちょっと優しくされたり、入れ込んでくれてる素振りを見せられると、うれしくなって、私なんかに、、なんていい人なんだ、、、ってなってそれが好意に繋がっていくのが中高時代の私である。しかし、その好意を認めることはなかった。バカなんだと思う。

 

突然、先生が3月でやめることになった、と気まずそうに言ってきた。

私のなかで先生はもう生活の楽しみになっていて、会うのが本当に楽しみみたいな存在だったので、もんのすごくショックだった。たぶん先生を目の前にしながらもショックを隠しきれてなかったと思う。

もうどのくらいショックだったかというと地元の友達に相談しちゃうくらいショックだった。かわいいね。

それからというもの、私は何を楽しみにして生きていけばいいんだみたいな感じになっていた。刻一刻と別れの日が近づいてくるごとにその気持ちは強くなっていった。

そんな中で私はISO先生に手紙を書いて、最後の授業で渡した。

先生のおかげで数学が楽しくなって好きになったこと、理系に進みたいとすら思っていること、本当に毎週たくさん笑わせてくれてありがとう、お世話になりました。みたいな。最後に連絡先を書こうかものすごく迷ったけど、なんだか下心がある感じだな、、と思って書かなかった。

最後の授業が終わった後、ちょっと残って個別授業室で話してるときに渡したら

先生は「えーーーー泣いちゃうから家で読むね」とかいってた。恥ずかしいからそうしてほしかった。先生はいいやつだったのでちょっと泣きそうだった。

それから衝撃の一言が飛び出す「俺、大学生なんだよね」

え… え?笑 ってなった。中学生には想像もできない展開だった。スーツを着てる先生が大学生?!ええっ!!!って感じだった。

まあその辺からはあんまり覚えてないんだけど、

さみしくなります、、って言ったら

生きてればまた会えるよ、おーはしさんより長く生きてる俺が言うんだから本当だよと言ってくれた。けど、本当かよ、、と思ってまじでさみしくなったのをよく覚えています。しかし、その言葉を信じるほかになく、いつか会えるといいなあとか思いながら最後の授業を終えました。

別れ際の塾の先生というのは、けっこう、恥ずかしいことを平気で言うんだなって今にしてみると、思います。

その後、高校生になり、進路で悩みに悩み、親の反対も押し切り、結果、理系に進むことにしたことをISO先生に報告したくて、なんとか塾に連絡先を教えてもらえないかなあ、聞きに行きたいけど、断られたら恥ずかしいなあ、下心があるって思われたらいやだなあ(と思ってる時点でややある)とものすごく悩み、

これまた一大決心で、はじめたてTwitterでこいちゃんに内容をぼかしながら相談したら(当時こいちゃんもTwitter始めたてでファンに返信をくれたりしてた、今はないけど)

「あのとき恥ずかしかったから、に勝る後悔はないよ」とリプライが返ってきて、意を決して塾に向かった。(このこいちゃんのリプライ、今でもちょくちょく思い出す機会がある、まじでありがとうこいちゃん)

塾にいって年賀状書きたいんで先生の住所を教えてくださいって言ったら、丁重にお断りされた。

ああ、連絡先交換しておくんだったな、、と後悔した瞬間だった。

四畳半神話体系ではないので、私が先生に連絡先を教えた未来がどんなものだったのかはわからない。たとえ渡しても、先生は私に返信をしなかったかもしれない。そういう、真面目な先生だった、だったと思いたい。笑

潔癖なまでのピュアさを見せていた私は、自分の先生に対する感謝の気持ちを恋愛とか下心とかに落とし込むのが、たぶん嫌で、その一線を避けたのだ。

でも今こうして先生の思い出がきれいなままなのは明らかに連絡先を交換しなかったからだと思う。知らないほうがきれいなことはたくさんある。

一度、先生が新潟のお土産を買ってきてくれたことがある。透明なマガタマ型のキーホルダーの中に、髭面で間抜けヅラのキャラクターが入ってるものだった。お腹に「えちご」って書いてあった。

なんかもっとご当地キティとかあっただろ!!と思ったけれど、なんかそんなキーホルダーを選ぶところが先生らしくて、すごくうれしかった。

それから私は受験の日まで、そのキーホルダーを数学のお守りとして試験の日は必ず持って行っていた。

 

うん、なんだか全体を通して甘酸っぱい気持ちにしかならなかった。

中学生の頃、ていうか、高3くらいまでわたしは信じられないくらいピュアっ子だったんだな、、と思ってなんだかちょっとダウナーです

先生の、女慣れしてなさそうなところが、当時の私的にも好感度高かったんだろうな、、とか今はよぎってしまうので、今になって先生を分析するのはやめておこうと、強く思います。

 

結局先生とはその後一度も会えてなくて

未だに先生に似ている人を見るとはっとするけど、だいたい違う人で、

もう一生会えないのかなあ、、と思うとやっぱりちょっともう一度くらい会って理系に進んだのは先生のおかげだよ、と伝えたい気もする。

先生は本当に優しくていい人だった、いい人すぎて損しそうなタイプの人だったので、どうか損しながらも幸せになっていてほしい。