先生〜プロローグ〜
私は勉強を苦痛だと思ったことがほとんどない。むしろ好きだった
それは今までたくさんの先生が楽しめるように、わかりやすいよう
中学生くらいから、自分のためだけにはあんまり頑張れる気
勉強にしたってそうだった、もちろん楽しくてやっているというの
個人的に、先生を好きになるということはいいことしかない。
その先生のことを好きになると、その教科を頑張るようになる。好
真面目で自信もない高校生の私がまさか自分から先生に告白するは
ただ、自分の言動が相手に影響を与えてリアクションが返ってきた
好きになるというのは何も恋愛感情だけをさすわけではないとして
日常生活において誰かに対する好感がないと、私という人間は終わ
うまく言えないけど、私は自分が生きるために人のことを好きにな
人を好きになろうと、あくまで無意識的にだけど、必死なのかもし
まあでも、これだって最近思ったことだし、いつもこんなことを考
でもこれもいいことばかり、好きな人には好かれたいのでそういう
中高と学校はあんまり楽しくなかった。もちろん好きな友人はいたけどいまより遥かに少なかった。でも毎日楽しく過ごそうと自分なりに工夫した。
朝いつも乗る電車で一緒になる冬になるとワイシャツの上にダウンという若干ラフな格好したサラリーマンを見ることを楽しみにしてなんとか学校に足を向けたりもしていた(6年間見続けたけど、途中から女の人と時々一緒にいるようになって、最近太ったなと思ってたら結婚指輪をしはじめたりして他人の人生を垣間見ることができてたのしかった)
そんな理由で先生を好きになったんだと思う。好きな先生つくって会うのを楽しみにするみたいなことで、生活に張り合いがでた。別にどうする気もなかったというか、どうやってどうするのかもわかんないし、私には出来ないしみたいな。
そういう、どうにもならない関係が安心で不毛で好きなのかなあと思う。どうにかなるかもって思った瞬間こわくなって、スッと引いてしまうんじゃないかなあ。まあ、そんな瞬間あったことそんなにないので想像だけど…。
無駄に斜に構えていた私は、恋愛して何かが変わるとかいうのが馬鹿馬鹿しいことだとか恥ずかしいことだと思ってたし、こわかったから、そんな私にぴったりだったのが先生という距離感だったのかもしれない。
まあでも今にして本気で好きだったかもっていう先生は3人いた。語り尽くすのは無理なので、わけて話したいと思う。
そのうち2人は、つまらん日常生活の中で会うのが楽しみだったし、よく人を笑わせようとする人で会うとよく笑ってたし、割とリラックスして話せて、いい人すぎて損するタイプの人だった。
1人はもう、かっこいいとか、キュンキュンするとか、ドキドキしてうまく話せないとか、そういう類いのやつだった。こっちの方がなんだかとても美化されて思い出として美しい。
本気で好きかどうかは別として私は先生という存在そのものがもう好きなんだと思う。
でも先生らしい先生は別に興味なかった。先生なのに、先生らしくない人にものすごい興味を示していた。私の場合、何かを好きになるということは「知りたい」と思うことだ。
先生という皮を被ってる分、隠れてる部分は多いけど、だからこそそんな先生の人間らしい部分が知りたいなあと思う。
興味を持てる人と出会ったら、その人がどんな人なのか出来るだけ知って吸収したいというのは今でもそう思う。
先生について振り返るのすごくたのしいのでしばらく続きます、先生シリーズ