コピーバンド

コピーバンド

好きになると、憧れを通り越してその人になりたくなる

まさか自分が人前で好きなバンドの真似をするとは、そんなことできるとは、

大学に入るまで思ってもいなかったな、、でも出来ればやってみたいっていう願望はすごくあった

自分はギタボやってて

本当に4年もやってんのにめっちゃ下手で恥ずかしいなと最近よく思うんだけど

今までやって来たバンドはほとんど自分が人を集めて、やりたいのばかりやってきた

下手だからあんまり先輩とか同期とか誘えなかったけど笑

後輩には申し訳なさもありつつ

先輩にバンド誘われるってうれしいしな、と思い込み、

下手な割に図々しく上手い人とばかり組んでもらってきた

自分のやりたいことをやるなら積極的になんでもできる

バンドは本当に無理矢理にでも組んできたなと思う

つまり、そこまでしてやりたいバンドだということなんだよな

自分の采配で、自分の求めるクオリティで、全部出来る

だからコピーバンドをやるのは本当に楽しかった

自分の好きなものをやるというのは本当にニヤニヤしてしまうくらい楽しみだ

自分の好きなものはちゃんとやりたい、という思いを他人も当然もっている

人に誘われたことは何度かしかないけれど不安でしかなかった

わたしはめちゃくちゃ練習してもしても、スタジオですらコード飛んじゃうし

本番はまあ大体頭真っ白になる、

練習してる時、こんなに練習しても本番失敗するんかなあと不安に駆られることもある

最悪、自分のやりたいバンドなら自分のせいだし、と責め続ければいいけど

人が好きなバンドに求められてるクオリティを出せないことばかりで

本当に死にたいなあ…と鬱になる

しかもはっきりとは言われないから、余計、苦しくなる

P-MODELとか、この前のaikoとかは

本番ボロボロで、本当に申し訳なくてめちゃめちゃ落ち込んだ

そういう時は本番の後、人と目を合わせられなくなることが多い

aikoのギターソロは今だにぼんやり練習してしまう、弾けるのが悔しい

コピーバンドを何故やるのか、

他の人に聞いたことないからわかんないけど

私自身は相当真面目に考えてると思う

自分の好きなものを他人に「いい」と思ってほしい

好きな人になりきった気持ちになりたい、それが気持ちいい、最高に楽しい

ということに尽きる

私は音楽の趣味広いわけでもないし、全然詳しくないけど、

自分の好きなバンドへの好きさ加減はサークルにいる誰にも負けてないと思う

見てて「ああ、好きなんだなあ」とわかってもらえればまずまず、好きさを表現するのが大切だとすら思う

演奏とかが伴って、「聞いてみようかな」と思ってもらえたらこれ以上ないくらいに嬉しい、大成功

私なんかがやってもいいと思われるんだから、

本家を是非聞いてほしいなって思う

恥ずかしいけど

私は音楽の話をするのが本当に本当に好きでたまらない

人の好きな音楽の話を聞くのも本当に好きだし

私の好きな音楽の話をするのは本当にたのしい、その時が一番たのしいかもくらい

ていうかそれ以外の話題あんまり持ってないかもしれない

それだけ一生懸命好きな音楽は聞き込んできたし、

これまた恥ずかしいけど、

自分の人間性と深く関わってるなと思うことが多い、私自身が好きな音楽で出来てるとすら思う

だからそれを好きになってもらえたら、本当にうれしいんだろうな

私の中にある原風景とか、根本的な部分とか、

なんていうか、雰囲気とか言葉にはできないところを好きになってくれる人がいるっていうのはすごくうれしい

そんな自分にとって大切なバンドばかりやって来られたから

我がサークル人生に悔いなしっていう感じだし、

こんな上手くもない私と一緒に組んでくれた人には本当に感謝してる

一度バンド組んでくれた恩は忘れないし、けっこう手厚く感謝してるつもり笑

今度12月にやるベースボールベアーは私の中でなんだかんだ一番熱を注いできたバンドで影響もたくさん受けた

たぶん知ってるものの4割(は言い過ぎかもだけど)はベボベの小出の影響

もう本当に好きなのでみんなにも、いいなって思ってほしい一心

あとはそんな大好きな小出の役を自分が出来るっていうのは本当にニヤニヤしてしまうし、最高の気分になる

でもだから、終わってしまうのがさみしいし、もっとたくさんやりたい曲あったから

もっと前からコツコツライブでやればよかったなと思ってる

もったいぶりすぎたな笑

追いコンでもやりたいなとか思っちゃう

まあ、さっきライブで見てきたからなんだけど笑

もう私の愛だけでも伝わってほしい

愛の伝わるコピーバンドが出来ればもうそれでいい

人前に出るの本当に向いてないし、なんでやってんだろって思うこともけっこうあるけど

人生で本当にライブなんてことが出来るなんて思いもしなかったから、

やれてよかったな、と思う

なんにせよ、真似したい、その人になりたいって思うくらいに好きなものがあるというのは幸せなことだなと思う

好きなバンドについて単体で語るのも楽しそうだな

東京ディズニーランド・シー

中3の頃友達と行ったディズニーが地獄だったのでディズニーは嫌いでした

初めてディズニー楽しいと思ったのは高校卒業後に高1のクラスの子たちと行った時、でももう行かないだろうなぁ

そのあと大学はいってから行ったのは全部楽しかった

うそだった、彼氏と初めてディズニーランド行った時だけモヤッとした、なつかしい

サークルのディズニーレク毎年参加してるけど今年でついに最後だなあ

 

耳はこの先も着け続ける、あの先行投資で楽しさは変わるんや…

 

特に語ることはない、シンドバッド乗りたい

 

信じてコンパス of your heart

昔の自分が今の自分を見たらどう思うか、

なるべく失望はさせたくないものだなと思うわけですが

色んな事情を考慮するタイプの子だったので大丈夫かな、と思いつつ

将来、酒で失敗するとわかったら流石にけっこう落ち込むだろうな

 

子どもの頃の酒の印象は父のせいで最悪だった

父はよく酒を飲み過ぎてわけわかんなくなって帰ってきては

大声で「チクショー」とか「バカヤロー」とかわめくし、殴られたこともあったし、

そのわけわかんなさは家庭という枠を突き破って、

花見の席とかで友達に場が凍るような失礼なことを言って友達をなくしてたこともあった。

しかも私の同級生のお父さんとかだからたまったもんじゃなかった

中高生になるにつれて、私は「理性的」「理論的」であることこそ美しいと思うようになった

ていうか、かっこいいし、自分も常にそうありたいと思い続けてきた。

だからか知らんけど理系教科の才能は全くなかったけれど、無理してでも理解したかった。

そうあることが正しいし、損もしないし、いいことしかないじゃんと憧れ続けた。

 

高校卒業の頃とかは、「大学に入ってお酒飲んだらどうなるんだろうね」みたいな話を友人とすることもあって

私は父が友人を失くしてるのを見て、酒飲んだらみんな私から離れていくんだろうかとか考えてた。

残念ながら私は父と性格が似ているから、酒を飲んでも父と同じようにならないという自信はなかった。

考えるだけでこわいし、他人に醜態晒すなら死んだ方がマシだから酒は飲まないでいよう

飲んでも酔わないようにしていよう、とか思っていた。

 

のも束の間、大学に入り、結局けっこう酒を飲むようになった。

夏の月島でエクストラコールドを飲んだ時の感動は忘れない。あれから嘘のようにビール好きになった。

飲みに誘ってもらえて色んな人と仲良くなれるし、

お酒飲めてよかった〜と思うことはけっこうある。

が、

初めて失敗したのは2年前の10月、ライブハウスだった。めっちゃ泣いたしさむかった、思い出したくない。

2回目は馬肉バル、先輩が口につっこんでくれた指の味とか彼氏がタクシーで迎えに来たとかでまあまあいい思いした

けど、二日酔いで次の日バイト休んで母親に本気で怒られた

その日は落ち込みながらピンポン見て過ごした。ゴミだった。

3回目は去年のクリスマス、今年も近づいてきたのでよく思い出して死にたくなる

クリスマスはもはや聖夜とかじゃない。その後、年末年始、鬱だった。

4回目は最愛の先輩たちの卒コン、思い出すとうつむいてしまう、先輩が居る最後の飲み会、最高にもったいないことをした、死ね

後輩に蒸し返されてビンタしそうになったこともある

ちゃっかり4回も失敗してた。

他人に醜態を晒すなら死んだ方がマシなら4回は死んでいる。

 

潰れてもひとりでスタイリッシュにどうにかできればいいけど、それはできず

全部人に介抱してもらった、だいたい申し訳なくて号泣する、泣くくらいなら死ねと思う

では私は友人を失っただろうか、よく考えると落ち込むのでよして、

ざっと見た感じ、大丈夫そうである。たぶん。

私が気にして、気にし続けても、友達でいてくれているのだ。たぶん。

この、たぶん、という不安が酒で失敗した罰なのだろう。嫌われてもおかしくはない。

しかしながら、私は自分がそうなるまで、潰れる人のことを軽蔑していたが

自分の時、友人や先輩がしてくれたように、やさしく、なんでもない風に手を差し伸べられるようになった。

友人が潰れてわけわかんなくなっても嫌いになったりはしなかったことは本当である。

これが必要なことなのかどうかはわからない。

 

大学に入り、私はあんまり理性的、理論的であることにこだわらなくなった。

理性、理論だけではどうにもならないことがたくさんあることが大学生活を送る中でわかったからである。

もっと感覚的で、ぐちゃぐちゃした曖昧で醜い部分が世の中というか、人間にはある、残念ながら自分にもあるとわかった。

今は他人のそういう部分を見るのが割と好きで、興味が尽きない。

他人を好きになる余地が増えたのでけっこういいことだなと思っている。

深く考えてはいなかったけど、お酒飲むようになったのも、理性、理論を重視しなくなったからかなと思う。

 

でも自分に理性的じゃない部分があることはあんまり人に見られたくない気もするし、

だからこそ、見せるのは、

お酒でわけわかんなくなってる時じゃない方がいいな、みたいな

 

浅く考えると酒のめて得かなって思うけど、

深く考えると酒は別に自分をさらけ出せるみたいな魔法も何もない

ただの飲み物でしかないかも。