先生〜高校数学編〜

好きだった先生2人目、いよいよ高校の数学の先生

高校1年生の頃、学校のクラスがすごくいいクラスで、めちゃくちゃたのしくて6年間学校通った中で唯一たのしく学校に行けていた時期だった。

今にして思うとすっごく恋らしい恋をしていたなあ、という感じなんだけど当時の私はこれまたその気持ちを恋愛感情だとうすうす気付きつつも認めずにいた。まあでも周りにはもろバレでけっこうからかわれていた。。

男性にバレンタインにお菓子をあげたのも先生が初めてだったし、けっこう、本格的に好きっぽい感じで、そこそこ楽しんでいたんだな、、

先生は背が高くて、スタイルが良くて、顔が小さくて、首が長くて、アンニュイな雰囲気をまとった人だった。一昔前の俳優っていう感じ。頭のいい国立大学卒業の高学歴高身長だった。

目とまゆげが近くて、黒目がどこまでも真っ黒くろなところなんかがものすごく魅力的だった。ケイトウィンスレットの目とそっくり。

もうとにかくかっこよかったし、ぐっときた。いつも水色の白衣を見ていて、チョークのついた手で腰に手を当てるので腰のあたりがものすごく汚れていた。終業式の日だけはスーツのジャケットを着ていて、それが最高だった。だから終業式とか始業式とかになると講堂の壇上の先生を絶対に見てたし、廊下とかでも先生を探していた。

先生はちょっと気持ち悪めの喋り方で、でも、やっぱり頭が良いから、テンポ良く歯切れ良く、解説していった。大学の数学につながるようなことも時々教えてくれたりして、数学が好きっていう感じがして、半分自分の世界にいながら、でもわかりやすく、おもしろく授業をしてくれた。板書もものすごく完成されていて、とにかく、本当に綺麗な授業だった。ちなみに先生には自分で作った教科書があって、ノートではなくそこに書き込んでいく形式だった。母親に捨てろ捨てろと言われているが、今でも読み返すと数学たのしかったなあとなるのでなんとなく捨てずに取ってある。塾講師をやっている時は先生の板書を丸パクリしていた。

高校1年生の9月、ベースボールベアーの(WHAT IS THE)LOVE & POP?というアルバムがリリースされて、そればっかり聞いていた。その中に海になりたいpart.2という曲があって、それが当時ものすごく好きだったんだけど、その時数学の範囲は微分だったのを覚えている。私は関数の範囲がものすごく好きで、微分はその中でも特に好きだった。

数ⅡBの微分は増減表を書いて、3次関数のグラフを描いて問題を解くのがメインの範囲なんだけれど、先生がすらっとした全身をつかって流れるようにグラフを描いている様とか、後ろ姿のスーツのズボンに浮き上がったふくらはぎとかが、本当に綺麗で、海になりたいpart.2の壮大なアウトロがいつも頭に流れてきたことをすごくよく覚えている。

とにかくそんな感じで高校1年生の頃の私は先生を常に目で追っていた。

部活で借りた望遠レンズを使って盗撮もしたし、部活動の権限を使って写真を撮ったりもしていた。夏休み、部活で学校に来ると私服でバイクに乗ってきていた先生にばったり会って、写真を撮らせてもらったこともあった。白シャツにGパンにバイクとか尾崎豊かよ、、、くっ、、、、ってなってときめいた。笑える。

という、端から見ると気持ち悪がられるであろう思い出で溢れている。

そんなことばかりしていた高校1年生の私には放課後に数学の質問をしに行くのが精一杯だった。

数学の難しい問題を解いては、質問をしに行っていた。もう、完璧に先生と話したかっただけである。でも、毎日行くのはなんだかなとか思って、適当に期間をあけて問題をためてから行ったりしていた。質問をしに行くことで、合法的に先生と二人で話す時間が取ったのである。そんなこんなで、職員会議で先生がいない日とか、数学科の会議の日とか把握していたくらいである。

先生は、中2、3の担任の英語の先生とおなじく、アウトローな教材室組であった。ちなみに、その英語の先生とは同じアウトロー組であることもあってめちゃくちゃ意気投合して、すごく仲良しだった。高1が終わる頃にはいつも一緒にいるほどの仲良しになっていた。腐女子歓喜である。

教材室の窓をのぞいて、先生がいるかどうか確認するのはいつもドキドキだった。いても他の生徒の対応をしていることも多々あった。

そう、先生はめっちゃモテていた。

まったく琴線にふれない層もいたけれど、けっこう大勢の女子高生にモテていた。

中学生の頃に見かけた先生はたしかに、いつも教材室の外で高校生に呼び出されていた。おもしろかったし、元々バレー部だったとかで運動神経もよかったし、ちょっと根暗だけどけっこう男っぽいはっきりした部分もあって、芯の強さもあって、っていう感じで私みたいな根暗だけじゃなくて、ギャルとか、クラスで目立つタイプの子とかにも好かれていた。特に担任の先生としては、分け隔てなくいろんなタイプの子に目を配っていたようなので自分のクラスの生徒にはめちゃくちゃ好かれていたみたいだった。

しかも自分がモテてることをけっこう自覚してて、まんざらでもない感じだった。特にそういうギャル系は先生と親しくなるのが得意だったし、先生もけっこうそういう子が得意だった。そういう子ときゃっきゃ恋バナをして盛り上がってることとかもあった。先生は一歩ひきつつも楽しそうだった。

一方私はというと、先生にタメ口をきく度胸もなく、うまい話題も見出す自信もなく、ただひたすら真面目に、真面目に質問をしにいっていた。先生もたぶん私のことを真面目で静かで聞き分けのいい子だと思っていたと思う。

先生が私にしてくれた話といえば、

自分が他の数学科の教員を敵に回して今のカリキュラムを作った話とか、教科書を変えた話とか、そういう、男の仕事道みたいな話だった。

それを私は「わーすごい」とか「そうですよねえ、大変ですよね」とか言いながら一生懸命聞いていた

とってもおもしろかったし、本日は貴重なお話をありがとうございましたって感じだった、けど、けど、違うんだよ、、もっと先生の個人のこと知りたいんだよな、、ともやもやした。けれど、聞く勇気なんてなかった。

し、何より、わたしはそれでけっこう満足していた。今日は雑談してくれたなあ、というだけでものすごく嬉しかった。帰り道、ちょっとそわそわして、友達に先生がこんなこと言ってたとかメールをしたりしていた。

何より、時々勇気を出して先生に雑談をふろうとすると、だいたい案外あっさり話が終わってしまったりして、恥ずかしいやら悲しいやらで、床をのたうちまわりたくなる結末になることばかりだった。

わたしはそんなことがあると、もうこの世の終わりかというくらいはずかしかったし、ひたすら好きなバンドのPVやライブDVDをいつもより真面目に見て現実逃避するほかなかった。

はあ、この人たちを好きになるのは一方通行でなんて楽なんだろう、現実の人間は私のアクションに対するリアクションが返ってくるのがこわいなあ

だから、一生好きなバンドマンを追いかけてれば傷ついたり、こういう風にはずかしい思いをしたりせずに済むんだから、こっちのほうがよっぽどいいな…

と思っていた。まあ今でも対人関係で何かあるとこんなことを考えてしまうけれど。

でも私はだんだん、先生の前で素のまま振る舞えないことが苦しくなっていった。もっと、ざっくばらんに話せるのに、今まで真面目にやってきすぎて、たかだか数学の授業だけ担当の先生相手に今までのイメージを崩すなんてどうやればいいかわからなかった。先生が担任だったらよかったのにな、とか思ったこともあった。(まあ、担任だったらもっと大変なことになってたと思うけど、、)

段々、悶々とすることが増えてきた。なんだか真面目で雑談とかしないタイプだよねって、誤解されているけど、もうどうしたらいいかわからない、もっと普通の話せればいいのにな、とぐるぐる悩み、だから余計、私は先生のこと別に好きじゃないと思おうとした。

それに、先生は私なんかに本当に何の印象も持ってないだろうな、と思った。つらいけど、絶対そうだったと思う。

とはいえ2連続でいい数学の先生に出会い、私はもうすっかり理系科目が大好きになっていた。あと何より、文系科目と違って音楽聴きながら勉強できるところとかも大好きだった。

高1の進路選択では親にめちゃくちゃ反対されたけど、理系を選択した。本当に理系の勉強が好きでまだやっていたいと思ったのが大きな理由だけど、正直、ほんのちょっと、まだ先生に習いたいなあとか、思っていたことを今なら認められる、すまん、お父さんお母さん。

しかしこれまた突然、非情な現実が突きつけられた。先生は、校長先生とバトったとかなんとかで私たちの学年から外れることになったのだ。

つまり、理系を選択したところでもう先生の授業は受けられなくなってしまったのだ。

先生の授業大好きだったのに、楽しみだったのに、また楽しみがなくなってしまった…と絶望した。これからも先生にならえると思っていたのに。

そこから私の学校生活はお先真っ暗だった。高校2年生になってクラスも変わってしまって自己顕示欲が強くて頭が固くて頑固で自己中なリケジョに囲まれたし、あんなに楽しみだった先生の授業もなくなって、学校は何も楽しくなかった。

それでも私は時々先生に質問しにいったりしていた。

でもなんかその度に、うまく接することのできない自分、当たり前だけど自分をわかってくれない先生にもやもやしたし、もう担当じゃないし、私何やってるんだろう、、先生も、なんで俺のところに来るんだろうって思ってるかな。。。って思い始めて悲しい気分になった。

少しずつ、先生のところへ行きづらくなっていった。けど、一目会いたくて、よく、教材室の前をうろついたりしていた。けど、先生と話すと落ち込むようになってしまった。

そのあと私は学校にはほとんど何も期待せず、塾中心の生活を送るようになって、塾に楽しみを見出すようになったことも手伝って、先生のところへ行かなくなった。

 

高3の卒業間際、進路を伝えに言ったのが先生と話した最後だった。

お世話になったから、といって先生と話したいだけだったんだけど、久しぶりに会うと先生は

「ひさしぶりだよね、本当にひさしぶり!学校来てた??ひさしぶりだね!」って何回も言ってた。

そして、また、真面目に受験でどこを受けたとか、大学はここにしたとか、そんな話をして、特に盛り上がりもせず、しめやかに先生との会話が終わった。

そのあともやっぱりなんとなく落ち込んだ。

わたしも先生の恋バナとか聞きたかっただけなのになあ、最後までわかってもらえなかったな、もっと仲良くなって話がしたかったな

でももうこのままお別れなんだな、仕方ないけど

そんな気持ちでいっぱいになった。卒業ってせつない。

 

どんなに追いかけても自分のことをわかってくれない、違う星の下に生まれている人を好きになるのはけっこうつらいな、と思う。

この反動かわからないけど、このあと好きになった先生は、ものすごく話しやすくて、なんていうか、雰囲気が合うから私のことわかってくれていそうな人で、そっちの方がよっぽど苦しくなかった。

卒業してから実は2回ほど母校に行っていて、その度、会いたいような、会いたくないような気持ちを抱えながら先生を探すけど、2回とも会えなかった。

もうこのままでいい気がする。

今度、友達が一緒に母校に行こうって言ってきたけれど、

その時先生に会えたとして私のこともう忘れてたら、ていうか多分忘れられてるから、そしたらそれこそ、私の先生に関する記憶が全部救われなさすぎるし、何よりショックすぎて立ち直れなくなりそうで、確かめるのがこわい。

でも、もし先生とたのしく話せたら、とも少し期待してしまう。

よくうろついていた教材室の前はプリント類の紙の匂いと、印刷のインクの匂いの匂いがしていたので

未だにその匂いを嗅ぐと、はずかしいような気持ちになって胸がぎゅーってなる。

先生〜中学校の塾の先生編〜

最初に述べた通り、今までたぶん3人の先生が恋愛的な意味で好きだった。

その中の一人が中学校の頃の塾の数学の先生だった。

数学が苦手で、赤点を取ったりしていたのを見かねた母親が「せめて平均はとれるようにしなさい」と塾にいれたのが初めだったと思う。中高一貫で普通の中学校とは進具合が違ったので、必然的に個別授業を受けることになった。

最初の担当の先生は、まあまあ、なんというかフツーの先生で特につまらなくもたのしくもないといった感じだった。その先生も今にして思うと大学生だったのだろう、中2の終わりにやめていって変わったのが、先生だった。

ISO先生は、猿みたいな顔で背が小さくて、おしゃれ感のないメガネの人だった。けど目がいつもびっくりしてる感じがかわいかった。

まあでも彼に関しては外見的には今にして思うとなんで好きだったのかよくわからない、けど、もんんのすごくいい人だった。(と思う)

中3はもう学校行きたくないなあっていう感じの時期で、地元の友達と遊ぶ以外に楽しみはほとんどなかった。そんな生活の中でISO先生の数学の授業はいつも楽しかった。

とてもわかりやすかったし、すべり芸タイプの力技でよく笑わせようとしてくれた。とにかく、と、に、か、く、恐れずに笑わせようとしてきた。し、私はそれで必ず笑っていた。私は笑わせようとしてくれるいい人が好きで、なんかわかんないけど、たとえつまらなくても、けっこう笑ってしまう。結論としては、気を使ってるのかもしれないけど、全然嫌な気はしない。

けっこう忘れてしまっているところはたくさんあるけど、先生が担当になってから授業が毎週の楽しみになって、数学が好きになった。毎週の楽しみをつくってくれる先生に私は感謝をしていて、だから、テストでいい点数を取ろうとしてたくさん勉強した。みたいないい流れが生まれていた。超ピュアだった当時の私は、感謝をしすぎて、それを通り越して先生のことが好きだったんじゃないかと思う。

そんな感じで私の数学の成績はめきめきと伸びていった。とにかく数学の勉強が楽しくて仕方がなかった。これだから先生を好きになるといいことしかない。

中3当時、飼っていた犬が少しずつ病気で弱り始めていて、ものすごい悲しい気分で塾に行ったことがあった。その時、先生がなんか元気ないじゃん、どうしたの?って聞いてくれたので、うちの犬が…という話をすると、自分にもそういう経験があると教えてくれたあとで、

犬は頭がいいから、そんなに悲しい顔してると不安がるんだぜ?だからつらいけど、犬の前では最後まで明るく振舞わなきゃ!

と言ってくれたことを今でもよく覚えている。中学生に向けてすごくいい回答だったのかなと思う。今、その時の先生の言い草をそのまま思い出したけど、〜だぜ?とか言っても許される感じの、いいやつそうな声の人だったな。

入院することになった時もものすごく心配してくれて、退院した後、塾から電話くれたりもして、もうなんかすごくうれしかった。今思うと、まあフツーそうするやろ、、みたいな感じなんだけれど、その時は本当にうれしかった。

とにかくちょろいのでちょっと優しくされたり、入れ込んでくれてる素振りを見せられると、うれしくなって、私なんかに、、なんていい人なんだ、、、ってなってそれが好意に繋がっていくのが中高時代の私である。しかし、その好意を認めることはなかった。バカなんだと思う。

 

突然、先生が3月でやめることになった、と気まずそうに言ってきた。

私のなかで先生はもう生活の楽しみになっていて、会うのが本当に楽しみみたいな存在だったので、もんのすごくショックだった。たぶん先生を目の前にしながらもショックを隠しきれてなかったと思う。

もうどのくらいショックだったかというと地元の友達に相談しちゃうくらいショックだった。かわいいね。

それからというもの、私は何を楽しみにして生きていけばいいんだみたいな感じになっていた。刻一刻と別れの日が近づいてくるごとにその気持ちは強くなっていった。

そんな中で私はISO先生に手紙を書いて、最後の授業で渡した。

先生のおかげで数学が楽しくなって好きになったこと、理系に進みたいとすら思っていること、本当に毎週たくさん笑わせてくれてありがとう、お世話になりました。みたいな。最後に連絡先を書こうかものすごく迷ったけど、なんだか下心がある感じだな、、と思って書かなかった。

最後の授業が終わった後、ちょっと残って個別授業室で話してるときに渡したら

先生は「えーーーー泣いちゃうから家で読むね」とかいってた。恥ずかしいからそうしてほしかった。先生はいいやつだったのでちょっと泣きそうだった。

それから衝撃の一言が飛び出す「俺、大学生なんだよね」

え… え?笑 ってなった。中学生には想像もできない展開だった。スーツを着てる先生が大学生?!ええっ!!!って感じだった。

まあその辺からはあんまり覚えてないんだけど、

さみしくなります、、って言ったら

生きてればまた会えるよ、おーはしさんより長く生きてる俺が言うんだから本当だよと言ってくれた。けど、本当かよ、、と思ってまじでさみしくなったのをよく覚えています。しかし、その言葉を信じるほかになく、いつか会えるといいなあとか思いながら最後の授業を終えました。

別れ際の塾の先生というのは、けっこう、恥ずかしいことを平気で言うんだなって今にしてみると、思います。

その後、高校生になり、進路で悩みに悩み、親の反対も押し切り、結果、理系に進むことにしたことをISO先生に報告したくて、なんとか塾に連絡先を教えてもらえないかなあ、聞きに行きたいけど、断られたら恥ずかしいなあ、下心があるって思われたらいやだなあ(と思ってる時点でややある)とものすごく悩み、

これまた一大決心で、はじめたてTwitterでこいちゃんに内容をぼかしながら相談したら(当時こいちゃんもTwitter始めたてでファンに返信をくれたりしてた、今はないけど)

「あのとき恥ずかしかったから、に勝る後悔はないよ」とリプライが返ってきて、意を決して塾に向かった。(このこいちゃんのリプライ、今でもちょくちょく思い出す機会がある、まじでありがとうこいちゃん)

塾にいって年賀状書きたいんで先生の住所を教えてくださいって言ったら、丁重にお断りされた。

ああ、連絡先交換しておくんだったな、、と後悔した瞬間だった。

四畳半神話体系ではないので、私が先生に連絡先を教えた未来がどんなものだったのかはわからない。たとえ渡しても、先生は私に返信をしなかったかもしれない。そういう、真面目な先生だった、だったと思いたい。笑

潔癖なまでのピュアさを見せていた私は、自分の先生に対する感謝の気持ちを恋愛とか下心とかに落とし込むのが、たぶん嫌で、その一線を避けたのだ。

でも今こうして先生の思い出がきれいなままなのは明らかに連絡先を交換しなかったからだと思う。知らないほうがきれいなことはたくさんある。

一度、先生が新潟のお土産を買ってきてくれたことがある。透明なマガタマ型のキーホルダーの中に、髭面で間抜けヅラのキャラクターが入ってるものだった。お腹に「えちご」って書いてあった。

なんかもっとご当地キティとかあっただろ!!と思ったけれど、なんかそんなキーホルダーを選ぶところが先生らしくて、すごくうれしかった。

それから私は受験の日まで、そのキーホルダーを数学のお守りとして試験の日は必ず持って行っていた。

 

うん、なんだか全体を通して甘酸っぱい気持ちにしかならなかった。

中学生の頃、ていうか、高3くらいまでわたしは信じられないくらいピュアっ子だったんだな、、と思ってなんだかちょっとダウナーです

先生の、女慣れしてなさそうなところが、当時の私的にも好感度高かったんだろうな、、とか今はよぎってしまうので、今になって先生を分析するのはやめておこうと、強く思います。

 

結局先生とはその後一度も会えてなくて

未だに先生に似ている人を見るとはっとするけど、だいたい違う人で、

もう一生会えないのかなあ、、と思うとやっぱりちょっともう一度くらい会って理系に進んだのは先生のおかげだよ、と伝えたい気もする。

先生は本当に優しくていい人だった、いい人すぎて損しそうなタイプの人だったので、どうか損しながらも幸せになっていてほしい。

先生〜中学校の先生編〜

中学時代の学校の先生のはなし

中学受験に失敗し、第一志望とは正反対の校風の厳しい女子校に入学。入学式から突然、「ごきげんよう」とか言わされ、綺麗なお辞儀の仕方を練習させられ、本当にやめたいと思った。今となってはお辞儀が綺麗ねなんて言ってもらえるので重宝しているけれど、当時の絶望はハンパじゃなかった。親曰く、「後ろから見ててあんたが不機嫌なのが分かった」というくらい。

中1のときの担任は、国語担当のM字ハゲでアゴのしゃくれたボンボン上がりのじーさんだった。こいつがまた私と馬が合わなかった。理不尽で、ボンボンっぽさが滲み出てたし、けっこういやみったらしい先生だった。国語に関してはひとつの解釈しか受け入れないみたいな人で、しかもその割にさすがに的外れじゃない?みたいな解釈があって、アンポンタンだなとおもってそんなイライラする授業を受けてるうちに国語が嫌いになった。

このハゲは、どうやら入れ歯らしく、しゃべる度に入れ歯と上あごの間につばが入ってペチャペチャ音がするやつだった。最初は原理がわからず「待て、こいつの口の中何が起こってるんだ…?」と不思議に思っていたが、まあ、今にして思えばたぶんこういうことなのだろう。。まあそんなところも嫌いだった、聞いているのが苦痛。

私は目立たなかったし、いじめをしたり、問題行動をしたりとかはしなかったけど、とにかく生意気な正論振りかざしマンだった。まあ、理論さえ通ってればそっちの方が正しいみたいな感じに思ってたんですね〜〜。。

今でもその節はあるけどもっとひどかったですね…

先生に怒られる時、たぶん標的されやすい子って言うのが多分いると思うんだけど、そんなのばっかりで、いつも同じ目立つ子ばかりを怒っていた。模試の答案の書き方が悪かったとかそんな話でみんなの前でその子の答案をチラチラ出しながら、さらし者にしていた。まあ、お調子者っぽい明るい子ではあったけど、流石に嫌がっていて、ちょうどその子が隣の席だったので、小さい声で、「これみんなの前で言う必要なくね?」とバカにした感じで話しかけた、つもりだった。が、偶然クラスが静まり返り、私の声だけがクラス中に響き、空気がちょっと凍ったこともあった。。

たぶん先生からめっちゃ嫌われてたことだろう。でも、問題行動をしているわけでもないのでめっちゃ扱いづらいガキだったと思う。国語の毎月提出の読書感想文を一度も出さず、出してない人は先生に呼び出されてたけど、私だけ何故かスルーされていた。なんでだったんだろう。でも書かなくてよくて楽だった。

2年生の時、担任ではなくなっていたがハゲは依然として国語の担当だった。一番前の席で隣の子と揃って寝ていた時、私の机だけを蹴り、隣の子はスルーされてた。あ、マジで嫌われてるんだなって思った。ハゲの逆襲。

でもハゲは突然カマキリのモノマネをしたり、「僕はね、黒板に円を書くのが得意なんですよ」とかいっていきなり腕を全力でぐりんと回して黒板に円を書き始めたり、「芭蕉って忍者だったらしいですよ」っていう話を突然してきたり、「僕は退職したらバイオリン作りをしたいですね」とかせいじくんみたいなことを言い始めたり、

古典のテスト直前の授業で範囲が終わっていないにも関わらず、鵺の鳴き声を私たちに聞かせようとするもCDの再生機器の操作方法が分からないまま50分間無駄にして、まさかの試験範囲が終わらなかったりとかあって、ちょっと面白かった。鵺ってどんな声なのか未だに気になる。から、調べてみようと思う。

中2の時の担任は、男の英語の先生だった。最初、茶髪でパーマだった。2年間おなじ先生だったので途中で黒髪になったりしたけどだいたい前髪が長かった。鼻がものすごく綺麗で、歴史の教科書に出てくるイエスキリストの絵に似ていた。

衝撃の登場シーンであった。突然教室に入ってきて、「そして」と言った。こちとら初対面である。こっちは0なのに彼は2の段階にいたみたいな、正直笑った。

字がものすごく汚くてやる気のない感じの先生だった。英語の発音はめちゃくちゃうまかった、高学歴だったのでバカにされたら嫌だなあとおもって英語を頑張った。

ものすごく理詰めな先生だった。最初のHRでひとりではごはんを食べられない女の人たちに多いランチメイト症候群について語り始めた。だから君らも机を前に向けたままごはんを食べろ、とのことだった。誰とごはんを食べる、誰とつくえをくっつける、そんなことをしてあぶれる人だっているし、まずめんどくさいじゃないか、と。

私は感銘を受けた。この学校にもそんなことを言う先生がいるのか、と思いながら聞いてた。ただ、字が汚すぎて、ランチメイトが完璧にうンチメイトに見えたので笑いをこらえるのに必死。なんだかニヤニヤした。こんなこと言っていいのか、こんなこと言う人がいるのか、と思って胸が高まった。

ちなみに私はこの案には大賛成だった。が、ほとんどの生徒は猛反対、何でウチのクラスだけ、とか言ってた。現に他のクラスがウチのクラスの全員前を向いて食べる異様なお弁当の風景を見に来たりしていた。結局、保護者からクレームがきたようで廃案になった。結局、世の中そういうもんだなっていう感じだった。

そして何より、学校が嫌いだった。しばらくすると、学校の批判を始めた。

私も学校が大嫌いだったので先生の言葉 にうんうんと頷き、なんだか救われたような気分になった。そんな先生だったので、職員室に居場所などなく、いつも教材室という部屋にこもっていて、その部屋にはアウトローな先生が集まっていた。

先生との出会いで、組織全体が嫌いだとしても、その中の個人がその組織と同じ思考をもっているとは限らない、その中にもいい人はいるんだ、という考えを持つようになり、より、組織とか集団よりもその中の個人を重視するようになった。

しかし、一切笑わず、常に理路整然としていて、冷ややかで何を考えているのかわからず、こわい先生だった。

学級会とかで誰も発言しないと、「誰かがここで口火をきるという役割をするべきなんですよ?」みたいなことを言ってきて、なんだか私はそれから口火を切るみたいな役割を担うようになったように思う。その先生のおかげ(?)である。

それだけ静かで、笑わない先生だと、謎が謎を呼び、変な噂が絶えない先生だった。昔生徒の前で常にギャグを言うほど陽気だったが、ギャグがすべりたおして笑わなくなったとかそんなのもあった。そんな話が尽きず、それはそれですごく楽しかったから、話の種としては重要な先生だった。

とにかく、変な人であったことは違いないけれど、私は中3で入院したりして、普段全然話さないのに、学校に戻った初日、顔を見せに行くと「退屈しちゃったでしょ〜」なんて声をかけてくれたりして、

びっくりして金田一ばっかり読んでたんで夜けっこうこわかったですあはは、なんてよくわからないことを言ったり、でも、ずるいもので普段話さない人だとこれだけ話してくれるだけでなんだかうれしくて、いい人だなあなんて思っていた。

私はけっこうこの先生が好きだった。多くを語らないキャラが功を奏したのだろう、来世、男に生まれて女子校の先生になることになったら是非実行したい。

高校の美術の授業で許可もなく、この先生についての漫画を描き、それが学校内で配られる美術科の先生のつくる冊子に掲載されたりした。

卒業間際に進学先を伝えに行くついでにそのことを謝りに行った

先生は「へー!そう、そしたら、兄妹そろってセントポーーーール!!!!だね、あと、漫画についてだけど、おいしかったからいいですよ」と言った

私は困惑しながら「はは、それ、新歓で使えますかね」と答えたのを覚えている。きっとこの人のギャグは万人受けするものじゃなかったんだろうな、と確信した。

時折、シュールなことを言って教室が?でいっぱいになっていたことがあった、そんなところがけっこうツボで好きだった。

それが先生と話した最後だった。先生は、もう私の母校にはいないらしい。

先生〜小学校の塾〜

小学校の塾のはなし
年の割に斜に構えた小学生だったとは思うが、この頃は恋愛感情とかはまったくなかった。ただ、塾の先生は好きだった。
中学受験のための塾の先生たちは本当にみんな面白い人ばかりだった。
まあ、嫌いな先生もいたけどね。カンニングしてないのに容疑をふっかけてきて、何年先生やってると思ってんだとかドヤ顔してたじーさんは小学生ながらに、恥ずかしいなあと思って心の中でクソほどバカにしてた。笑
 
夏期講習なんかだと普段の担当とは違う先生が来た。
チャイムが鳴ってから先生が顔を出すまで、みんなドキドキだった。
おもしろい先生が顔を出すと、みんな、よっしゃー!!!とか言って盛り上がってた(それ以外はみんな特にリアクションなし)
 
覚えてる先生全員列挙したいけどそういうわけにもいかないのでかいつまんでいく
はらせんという国語の先生はめっちゃ人気だった、とにかく面白い、話がうまかった、今聞いたらどう思うかはわからんけど笑
今にして思うと割といい声だったと思う、青ひげで、生徒を下の名前で呼ぶ先生だった。
北海道生まれの先生で、注意されてもリフトでバウンドし続けたのちリフトから落っこちた話とか、
風邪をひいた友人のために金持ちの家の池の鯉を釣って食わせた話とか、
まあ今思うと小学生が好きそうな話ですね、そんないつまでも悪ガキみたいな話を面白おかしくしてくれる先生だった
でも今思い出してもなんだか楽しい気分になる。
めちゃくちゃ声のでかい先生で、声をからしてしまって
「ヤク注入するわ…(プシュ)あ〜〜いいね〜〜!!!」とかやってたことがあったのが印象的、たぶんいい人だったと思う
 
もうひとり国語の先生、私が頭のいいクラスに上がって(ちょっとしたらさがったけど)担当になったFやま先生はすごくお上品でなまった口調ですごいアダルトなことを言う先生だった。
この人も髭が濃かった、お上品な口調、濃い顔故にちょっとゲイっぽかった。メガネだった。
授業で江國香織の文章が出てきて、「先生は江國香織の本とか結構読むんですけどね、君らにはちょっと早いかな〜〜男の人と女の人がチュッチュしてるやつだからね〜〜」とか言ってきたり、
本人曰く奥さんが外国人らしく、文化が合わなくて大変だけどおもしろいみたいな話とかをしてきた。なんとも言えない、大人の諦め、そして子供をバカにする感じが感じ取れて好きだった。
あとは授業の中で扱った文章について記述問題を作って、提出させて、
添削をしたのち、いい文章は次の授業でどこがどうよかったかクラスメイトに印刷して配ってくれる先生だった。
私は当時めちゃくちゃ国語が得意だった上に、文章がうまかったのでだいたい選ばれていた、素直にうれしかった。
まあ、選ばれなかった子とか国語が嫌いな子にとっては嫌な時間だったと思うとなんとも言えないけど、自分のいいところを評価してもらえるという機会は人生でもなかなかないと思うので、こういう機会を作ってくれるのはいいことだと思う。
ちょっとアダルトな雰囲気漂ってたし、大人の世界って感じで、ちょっと他の先生と違った、怒るとけっこうこわかったけど。
ちなみに国語は中1の担任のことが嫌いになるまで、ずっと好きだった。そこからは一転して嫌いになった。好きな教科はやはり先生運だとおもう。
 
また国語の先生、O笠原先生というマツコデラックスとまではいかないけど、あんな雰囲気で太っている女性の先生。デブだけど色白でふわふわしてそうなかわい気のあるデブだった気がする。でも強烈な印象だった。
突然、授業中にでかくて高い声で歌を歌い始めたりする。
この先生の今でも忘れられない切り返しがある。
ものすごいデブで口も悪くて声もでかい(清潔感のある色白の可愛いデブだったけどね)先生が突然、彼氏がいるみたいな話をしてきて
生徒がすかさず、ええー!!!彼氏いんの?!!!ってびっくりした時
おめーらデブが結婚してるっていうと妙に納得するくせに彼氏っていうとなんでびっくりすんだよ!!!フツーは結婚する前に付き合うんだよ!!!!」って言ってたことが未だに思い出される。
なんだか、そりゃそうだなって納得した。小学生相手にそんなことを熱弁する先生、好きだった。でも歌声でかすぎて隣の部屋から怒られたりもしてたな。愉快な先生だった。
 
あとは理科のともくんと呼ばれていた先生。めちゃくちゃ色白でガリガリ、馬面出っ歯のメガネで背が高くて猫背の先生だった。スーツがいつもチョークで汚れてた。
バカみたいに字がデカくて、バカみたいに声もでかくて、
一文字書き始めるだけで「字、でか!!!」ってなって笑いがとれる先生だった。
理科は得意じゃなかったけどこの先生は好きだったし、なんかちょっと仲良かった。笑
ともくん、なんか好きだった、よく覚えているのは
「先生はどうして塾の理科の先生になったの?」って聞いたら
「うーん、本当は小学校の先生になりたかったんだけどね」って言われて
「へー、先生おもしろいし頭もいいんだからなれるよ!!!」とかいって、
ともくんがははは…とか笑ったみたいな会話。
教職の単位とか仕組みについてなんにも知らなかったので、単純に小学校の先生よりおもしろくて、難しい問題の解けるともくんが何故学校の先生にならなかったのか不思議でならなかった。
そして、この時私はたぶん初めて、なりたいと思っていたもの以外で妥協した人がいることを認識した
 
こんな感じのユニークな先生が他にももっとたくさんいた。
学校の先生はどの人もみんないい人には違いないけど、超真面目でつまらなかった。まあ、あんだけたくさんの子供束ねるんだから仕方ない。
でも塾の先生は、生活態度とかくだらないこと(当時から思ってた)で怒らないし、
学校の先生よりも、先生という役に染まり切っていない。ちょっと大人の事情的なものが垣間見えるのが面白かったし、なんか好きだった。
この感じはこの後も持ち続けることとなる、
先生でありながら、先生という役に染まり切っていないやるせない先生が好きだった。
 
塾講師というものの現実を知った今、まず、彼らの雇用形態なんかが気になる。大人になるって嫌だね。
授業だけする先生はプロ講師と呼ばれている。
聞こえはいいし、人気さえあれば十分に食べていけるが、実際のところ世間的な定義ではフリーターなんだよなあ
あの人たち、フリーターだったのか、と思うと変な感じ。
まあ、私の通ってた塾の講師の雇用形態はわからないけど、今はどうしてるんだろうなあ。みんなまだ塾の先生やってるのかな。
 
小学生がお受験のために勉強を続けるのはなかなか大変だと思う。
それを楽しくやらせようと工夫してくれてたであろう先生たち、今思い出してもおもしろい。
ブラックな大人が多かったのが最高だった。

先生〜プロローグ〜

私は勉強を苦痛だと思ったことがほとんどない。むしろ好きだった
それは今までたくさんの先生が楽しめるように、わかりやすいように教えてくれたおかげであると思う。
中学生くらいから、自分のためだけにはあんまり頑張れる気がしない。誰かのためにやらないとやる気が出ない。だから色んなことを無理矢理、誰かのためにやっていることにする。バイトだったら、上司のため、店長のため、と言った感じで、たぶんこれからもそうだと思う。
勉強にしたってそうだった、もちろん楽しくてやっているというのは大前提だが、正直言うとお金を払ってくれている親にはじまり、私に一生懸命教えてくれた先生のために頑張れていた。
個人的に、先生を好きになるということはいいことしかない。
その先生のことを好きになると、その教科を頑張るようになる。好きになる。勉強をするということは明らかに自分のためになる。しかも毎日たのしい。いいことしかない。
真面目で自信もない高校生の私がまさか自分から先生に告白するはずもない、何の進展もない。親も安心である。
ただ、自分の言動が相手に影響を与えてリアクションが返ってきたり、相手の言動に一喜一憂したりする、そういう距離にいるという点を除いて、画面の向こうのアーティストとほとんど変わりがなかった。

好きになるというのは何も恋愛感情だけをさすわけではないとして
日常生活において誰かに対する好感がないと、私という人間は終わってると思う。友人が好き、先輩が好き、後輩が好き、とかがないと明るく楽しくは生きられない。
うまく言えないけど、私は自分が生きるために人のことを好きになってるなと思う。会うのがたのしみな人が多ければ多いほどいいに決まっている。優しくしたいとか、仲良くなりたい、顔が見たいとか話したいとか思える相手が多い方がいいに決まっている。そうでもなければ、私と言う人間は何を生きがいにしてるのかわからない。空元気とか、愛情とか、向ける相手がいないとやばいと思う。

人を好きになろうと、あくまで無意識的にだけど、必死なのかもしれない。ちょっとこわいし、これやばいんじゃないか?と思うこともある。
まあでも、これだって最近思ったことだし、いつもこんなことを考えてるわけじゃないから、自分は自然に人のこと好きになれるんだと思うけど。
でもこれもいいことばかり、好きな人には好かれたいのでそういう行動をする、相手も悪意を向けられるよりか悪い気はしないはず。その人について時々考えたりして、自分も心が穏やかでいられる、毎日たのしみなことが多いのはいいことだ。悪いことは一個もないんだから、これでいい。

中高と学校はあんまり楽しくなかった。もちろん好きな友人はいたけどいまより遥かに少なかった。でも毎日楽しく過ごそうと自分なりに工夫した。

朝いつも乗る電車で一緒になる冬になるとワイシャツの上にダウンという若干ラフな格好したサラリーマンを見ることを楽しみにしてなんとか学校に足を向けたりもしていた(6年間見続けたけど、途中から女の人と時々一緒にいるようになって、最近太ったなと思ってたら結婚指輪をしはじめたりして他人の人生を垣間見ることができてたのしかった)

そんな理由で先生を好きになったんだと思う。好きな先生つくって会うのを楽しみにするみたいなことで、生活に張り合いがでた。別にどうする気もなかったというか、どうやってどうするのかもわかんないし、私には出来ないしみたいな。

そういう、どうにもならない関係が安心で不毛で好きなのかなあと思う。どうにかなるかもって思った瞬間こわくなって、スッと引いてしまうんじゃないかなあ。まあ、そんな瞬間あったことそんなにないので想像だけど…。

無駄に斜に構えていた私は、恋愛して何かが変わるとかいうのが馬鹿馬鹿しいことだとか恥ずかしいことだと思ってたし、こわかったから、そんな私にぴったりだったのが先生という距離感だったのかもしれない。

まあでも今にして本気で好きだったかもっていう先生は3人いた。語り尽くすのは無理なので、わけて話したいと思う。

そのうち2人は、つまらん日常生活の中で会うのが楽しみだったし、よく人を笑わせようとする人で会うとよく笑ってたし、割とリラックスして話せて、いい人すぎて損するタイプの人だった。

1人はもう、かっこいいとか、キュンキュンするとか、ドキドキしてうまく話せないとか、そういう類いのやつだった。こっちの方がなんだかとても美化されて思い出として美しい。

本気で好きかどうかは別として私は先生という存在そのものがもう好きなんだと思う。

でも先生らしい先生は別に興味なかった。先生なのに、先生らしくない人にものすごい興味を示していた。私の場合、何かを好きになるということは「知りたい」と思うことだ。

先生という皮を被ってる分、隠れてる部分は多いけど、だからこそそんな先生の人間らしい部分が知りたいなあと思う。

興味を持てる人と出会ったら、その人がどんな人なのか出来るだけ知って吸収したいというのは今でもそう思う。

 

先生について振り返るのすごくたのしいのでしばらく続きます、先生シリーズ

おかあさん

母親のことはママ呼びするように教えられてきた

昔はずっとママって呼んでたけど、中学くらいからおかんとかって呼び始めた気がする、東京タワー、僕とオカンと時々オトンが流行り始めた頃。母もおばあちゃんのことをママと呼んでいる。

私は母親のことがけっこう好きだ。

ちなみに、お母さんのことが好きな男性も好き。母親を大事にする人最高だし、邪険にする人にロクな人いないっていうか、マザコンじゃない男の人ってあんまりいないんじゃないかと思うので

やっぱり母親ってすごいなって思う。皆母親のこと好きだなって思う。

太宰治の斜陽に出てくる直治とかいう意地らしいだめ男も世間知らずな貴族の母親のことを散々バカにしながらめっちゃお母さんのこと好きだからね。悪になりきれないんだよね。

スターウォーズのアナキンも母親殺されてダークサイドに落ちちゃったわけだからね。やっぱりすごい存在なんですね、母親っていうのは。

私も母親のことはバカにするっていうか、茶化しつつもかなり好きって感じ

 

私は子どもの頃からずっと甘やかされ続けてきたと思う

まあその割に早い段階(中学受験)で挫折を味わって、人生うまくいくもんじゃないなと悟ったのだけど

小さい頃から頭ごなしに怒られたことはなくて、これは、こういう点でよくないからだめだよ、とかちゃんと理論づけて説明をしてくれたし、私もそれを理解していたらしい。とにかく聞き分けが良くて、おっとりしていて、静かな子だったらしい。

小さい頃のビデオとか見ると本当に愛されているのがよくわかるし、ちっちゃい私の体から幸せ〜なぽわぽわしたオーラが出ている

日の当たるぽかぽかしたリビングで、涙が出そうなくらい幸せそう

私が自分の母親に一番感謝しているところは、あんまりよくないわがままをさせてくれたことかな、と思う。好きなことだけやらせてきてくれたこととも言い換えられるな。とにかく何かを無理強いされたことはない。

私は小中高と、疲れやすく、体力もなく、精神も弱くて、朝も弱くて、

っていうか、もう、朝弱くて、学校も好きじゃなかったので、起きられず

月に2、3回は学校を休んでました。

学校休んで、午前中は3ちゃんねるを見て、

午後からは好きなバンドのライブDVDとか、PV集とか映画とかアニメとか見て、夕方くらいになると「今日学校いけたなあ」とかちょっとだけ反省して、その割には夜更かししてました

本当はよくないことだとわかってるけど、当時の私にとってそれは最高な時間で、怒らずにその時間を過ごさせてくれたこと

学校に行きたくないとか、なじめないとか、集団がめんどくさいとか、わかってくれてありがとうっていう感じです。

なじめないならなじまないとか、やりたくないならやらないとかいうのもアリだとわかったことでかなり肩の力が抜けるようになったのかなと思う。

社会的にどうかよりも何よりも自分のこととか、他人のことであってもその人個人のことを社会的観点とかよりも優先させることが出来れば、みんな窮屈じゃないのにねとか考えてしまう。

おかげでめっちゃ根性なしに育ったけど、好きなことならがんばれるし、何より、このままじゃあ社会に出てからまずいなあとわかっているから、いいんです、まあでもそもそもその根性って本当にいる?みたいなことを思ってしまうな、このまま根性なしのままかもしれないな

ということからも分かるように、私の母親は私同様協調性がまるでないわけじゃあないけど、あんまり重視しない人です。さらに、メルヘンで自然を愛する感じの人でもあるので、浮世離れしているのかと思いきや、かなり現実的な人でもあります。

私の祖母は世間知らずの善人、ていうか聖人かっていう感じの人で、母は若い頃そんな祖母のことがうっとおしかったらしい。それとはまるっきり別の母親像になってると思う。

私は小学生の頃から散々金の話をされてきた。(今ではわざわざされなくてもその重みはよくわかるつもり)

たぶん中学受験とか、しないという選択肢も余裕であることをさせてもらってきたから、いちいち「お金がかかってる」「老後のお金を削っている」というアピールをされてきた。(ウチは父親がかなり稼いでくれているけれど、子ども2人とも私立の中高に通わせる程の余裕はないくらいの感じなんだろうなと思う。)

そういう話をされると、重荷に感じるし、息が詰まる、だいたいフツー子どもにそういう話するか?みたいなことを一度言ったことがあって、そのときは

「へーじゃああんたはずっとお金のこと隠されてるままでいいんだ」って言われた。普通の親らしい親は口にしない苦労だけど、うちの親はそうじゃないんだなって思った。

私の母親はあんまり母親らしい母親じゃない、普通の人間だと思う。母親としてどうとかよりも、ひとりの人間として話をしてくることの方が圧倒的に多い。大人気がないことも良くある。

甘やかす一方で、社会の厳しい現実に早いうちから触れさせたし、自分の社会で経験した話もしてきた。割と 昔から、父の前に付き合ってた人の話とかもしてきた。

私自身甘ったれた性格ではあるけど、世の中甘くはないことをわかった上で最大限に甘ったれようと思っているところとかはこの教育のおかげかもしれない。

あと、大人げないことを指摘すると「大人っていっても子どもがいるから、相対的に大人なだけ、中身はあんたとそう変わらない」と言われたこともある。

そしてこれはよく言われる。

私が今22歳だなんて実感ないね〜と思ってるような感じで親だって半世紀以上生きても、だから自分は大人だとかとは思わないんだろうなとか考えてしまう。

なので大人にならなきゃとかとはあんまり思わなくっていいんだと思う。今の感じで一生行くのはやばい気もするけど、結局やばいところ残したまま一生行くんだろうな。それはやっぱり、よくないような気もするけど、まあいつまでも変わらずに居られるのであれば、なんとなくうれしい。

 

まあなんかスケールのでかい話になってきてしまったな。

母親からあと植え付けられたものといえば、アミニズムかな…。

おかげで人、動物、もの関係なく色んな立場になって勝手に考えて、感情移入出来る体質になってしまい、涙もろくなったし、色々思い悩むことも多い。ものを大事にするのはいいことだけれど、アミニズムは度が行き過ぎると悩みの種が増えるので子どもに教えるときは注意してほしい。けど私も子どもにアニミズム的思考を植え付けるんだろうな。

まあ最近ちょっと耳が遠くなってきたりしてて、衰えを感じる。

私がちょっと離れたところで一生懸命話してても聞こえてなくて、「なんかいった?」と聞き返されたりするとついイラついてしまうけど、なんか、ああ、年なんだなあと思って悲しくなる。

なるべく長く生きてほしい。これに尽きる。

まとめると、母はちょっと変わった人かな…。あと、いつまでも若いです。年の割にきれいだしな。ごはんのとき高校生の頃から同じライブかPVばかり見てても文句を言わないところ、すごく尊敬しています。

あなたのファッション感度はどのくらい?とふんぞり返った社長に聞かれたことがある。ファッション感度ってなんだよと真っ先に思ったが

そうですね〜、正直流行には疎いと思います。あまり詳しくもありません。だからそんなに高くはないと思いますね。

ですが、私は自分の好きな服はいつもはっきりしていて、好きな服ばかり着ています。

と答えた、これが私の服に対する姿勢の全てだと思う。

あと、服に対するもうひとつの認識は母親からの愛情、これも面接で言ったかな

私の母親は元々おしゃれが好きで、服もすごく好きでけっこう服にお金を使っていると思う。しかも私にも年に何回か「そんなに?」っていうくらい買ってくれたりする。社会人になるのでそれももう今年で終わりかなと思うと悲しいような…。

母親は私のおじいちゃんのお姉さん、だから母親にとってはおばさんがスポンサーだったらしく、たくさんお金をもらっては服を買って雑誌にスナップされたりしてたらしい。スゲーイケイケである。

だから私にもそのおばさんみたいなことをしてあげたいと話してくれたことがあったな。

服には一切困ったことがない、買ってもらった服は愛情なんだなあ、かわいがってもらっていた証なんだなあとしみじみ思う。ありがとうおかあさん。

ちっちゃい頃はフェリシモという海外直輸入のかわいいワンピースとかが毎月届くヤツを頼んでくれてて親子で楽しみにしてた。

3才のわたしがたくさん服を引っ張り出してきてファッションショーをしているムービーなんかもあった。いまよりめっちゃ女の子。

小学生低学年から中学年の頃はGAP Kids着てた、大人の服は微妙だけど子供服はかわいかったと思う。紺と赤と白のタンクトップがすっごいお気に入りだったことを覚えている。

高学年になるとベティースブルーが好きになった。ナルミヤエンジェルブルーとかの)は派手な上に、クソ高かったけど、

ベティースブルーはそれに比べると安価(まあでもガキが着るには高かったのかな…)だし、落ち着いたデザインのものもあった。

エイミーちゃんとかいう四角いピンクのくまのキャラ、なつかしい。エンジェルブルーナカムラくん、なんか水色の気持ち悪いヤツ、何がいいのかわからずめっちゃバカにしてた。嫌なガキだな。

でもエイミーちゃんがあんまり目立つ服はいやだとかけっこうこだわりがあった。このキャラいらなくねと思ってた。

一番気に入ってたのは紺のパーカーだった。だから隙あらば着てたな。

昔から紺が好きだった。紺着ると落ち着くな、みたいな。今も紺大好きだし。

あと昔から気に入った服があるとそればっかり着る。

中学に入るとスケバンかよっていうくらいスカートの長いセーラー服を着るようになって私服はあんまり着なくなった。

中1の時は吉祥寺界隈に仲良い子がたくさん住んでたのでよく遊びに行ってたんだけど、

まー安い服屋がたくさんあって、そこで服買って遊んだりした。髑髏の書いてあるポップなロンTとか着てた。青緑みたいな色、これまた今も好きな色。

小学生の頃より中学生の頃の方が服ださかった気がする。あとデスノートすごい好きだったのでミサミサの服みたいなのいつか着るんだ〜と思ってたな。ちょっとそれっぽい赤チェックのスカートとか持ってたな、この頃はちょっとはずかしい。

中2、3くらいでシキのTOSCAにあったa.g.plusで服を買うようになった。

ちょっと前に潰れちゃったけど、この頃からけっこう今の私っぽい服を着ていたと思う。

scolarという刺繍とかめっちゃしてあって凝ってるTシャツとかロンTとかのブランド?の服がたくさんあった

ここからscolarのTシャツを収集しはじめた。夏服で今もこの頃にかったTシャツ着たりしてる。物持ちがいいね。

高校生の頃はどうしてたっけ、あんまり覚えてない。塾に行きまくるようになってからというものずっと制服で過ごしてたからあんまり記憶ないのかも。

ドラゲナイっぽいバービーのコートとか、秋口に切るスタジャンとかは高校の頃買ってもらったヤツ。物持ちがいいね〜。

あと合わせやすいのですぐに着てしまう青チェックのシャツも高校の頃買ったものです、もう6年くらい着てるかな。

大学3年生でDots and stripesとかPAR ICIとか好きになった。特にDot and stripes。

派手めな色を着るのが好きになったので、ここの服は発色がよくて、しかもけっこうスリムでいいな〜しかも生地もなんだかハリがあっていいな…ともうめちゃくちゃ好きだった。大学3年生の頃とかほとんど毎日ここの服着てた。

今年はあんまり服買ってないので今年も結局かなりの頻度で着てる。

が、別れは突然訪れた。春くらいからドスーーーーーーーンとしたでかいフォルムの服が目立つようになってきた。

私は切った布を縫い合わせた縄文人みたいな服の着方がわからない。私は胸もなくて、肩幅も広いので、塗り壁みたいになるし、何がいいのかわからない。

そもそも縫い合わせただけで金とってんじゃねーぞって思う。

こういう服はチラホラ見かけていたけど 、それに染まらずにちょうどよいスリムさを保っているところが好きだったのに、見損なったわ、さようなら。てな具合でぱったりと買わなくなった。

世間はこのドーーーーーンと横幅が広い服で溢れかえり、私は今年あんまり服を買っていない。買いたい、新しい服欲しい、のに好きな服がない。最近買った服はほとんどヤフオクだ。今の服がダメならちょっと前の服だっていう感じで。

服の好き嫌いはけっこうはっきりしてる。こだわりもけっこう多い。ので私は好きな服しか持ってないということになると思う。

白か青系のシャツ、チェックのシャツを見ると必ず手に取る。

シャツはハチクロベボベの小出の影響で好きだった。憧れてるものになるには形からということでシャツなら女の子でも真似できるし、っていう感じでシャツが好きなんだと思う。

愛してるという曲のPVで小出が何枚脱いでも下にシャツを着てるので、それはもうたくさんの種類のシャツとネクタイが見られるのがとても好きだった

毎日ごはんたべるときに見てた気がする。ちなみに最後から2枚目の青系のシャツが好き、一番最後の赤チェックもいいけどね

青系のシャツに紺のネクタイは最高

Base Ball Bear - 愛してる

でも今はそんな原点も忘れてシャツが好き、一緒に見えて色々ある。えりの大きさとか、シルエットの細さとか、チェックの大きさとか(小さい方がすき)、色合いとか、裾の長さとか、ボタンとか、あとは何より生地の感じ。

シャツは首が長いと一番上まで閉めてもよく似合うのでもっと首長くうまれたかったなとよく思う。

シャツを着ると一発で清潔感が漂うし、ぱりっとした気持ちになるので好きだ。

やっぱり青系か白系がよりそれが強くなるから好きかな…。

 

今年、Leeのいいジーパンを買ったことでけっこう服の幅が広がったように思う。

本来、私はシャツにジーパンとかTシャツにジーパンとかが一番いいと思っている。一番それがかっこいいと思ってる。

BUMPの藤くんなんかが白のVネックにざっくりとした灰色のパーカーを着て、ジーンズ 、でめちゃくちゃかっこいいので私もそうなりたいなあと中学生の頃思ってたな。

それが始まりかもしれないけど、私は男の子っぽい格好が好きだ。ていうかたぶん男の子に憧れてるんだと思う。

あとたぶん自分の中性的な顔のせいもあるんだろうな。

けどなんだかんだけっこう可愛い服も好きなので、なかなかやらずにいた、が、

来年から社会人になったら出来ないカッコって何だろうって考えた結果、

それってバンTにジーパンでは?という結論に至り今年の夏は割とずっとそんなだった。藤くんみたいなカッコって憧れてたけど全然してなかったなってBUMPのPV集久しぶりに見てて思ったのも正直あるなあ…

今ももうずっと最近はかっこよくなりたいな〜と考えている。

さらっとしてる方がかっこいいと思っているので、さりげない格好がしばらくは好きなんだと思う。

物持ちがいいなあって思うけど、たぶん昔から好きなものがあんまり変わってないから着られるし、

そういえば、何年も着られそうだなと思いながら買ってるな、服もさぞ喜んでることだろう。

来年からも私服で働くわけだけど、どんな服着ればいいのかわからん

でも自分の雰囲気に合うものをこれからも着続けて行くと思う。